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サイト移転のお知らせ

当サイトifcbaby.comは 2004年5月末付けで、新サイト http://www.ifcbaby.net
移転いたしました。


尚、2004年6月1日以降は
新サイト http://www.ifcbaby.net
引き続きご高覧賜りますよう
宜しくお願い申し上げます。



代理出産。。。私の場合

関東甲信越地方のN様より

結婚して6年。ついに私たちにも天使が舞い降りてきました。かわいい、かわいい、赤ちゃんです。今、私たち夫婦は、この上なく幸せな日々を送っています。

こんな素晴らしい日が訪れるまで、私たちはとても辛い思いをしてきました。とはいっても、私たちは不妊治療をしていたわけではありません。私は結婚し、すぐに妊娠。でも残念ながら流産してしまいました。そして、さらなる不幸が私たち夫婦を。流産から数ヶ月後、「そろそろ赤ちゃん作ってもいいかな?」なんて思いながら産婦人科へ行くと、卵巣がはれているとのこと。すぐに大きな病院を紹介されました。大きな病院での検査では、部長先生が「年齢から考えても悪いものじゃないでしょう。まだ若いんだから。もし悪いものだったら、全てとっちゃいましょう。」とても簡単に言われました。女の人にとって全摘出ということがどれほど辛いことなのかわかってんのかな?と思いましたが、その時の私は、まさか自分が悪性の腫瘍を持っているなんて思いもしなかったのです。卵巣は子宮と違い、お腹を開いてみないと悪性か良性かわからないそうです。それで、どっちにしても手術をすることになったのですが、"年齢が若いから大丈夫"というただそれだけで、入院・手術はすぐにしてもらえませんでした。病院から電話がかかってきたのはそれから数ヶ月後。手術しましたが運悪く、私の卵巣はかなり悪性度の高い腫瘍に冒されていました。いわゆる卵巣ガンです。

私は、手術前に、主人に「もし、万が一悪性であっても、妊娠できるように残せるところは残してもらって!あとの治療はがんばるから。」と話していました。だから手術中に主人が医師に呼ばれて、全摘出することをすすめられた時、主人は私の意思を医師に伝えてくれたそうです。でも、結局、「全摘出しないと命の保証はない」ということで、主人は私の命を選んでくれました。それで、私は一度に子宮と卵巣を失ってしまいました。

何度死のうと思ったことか・・・でも私の命を救おうとしてくれた主人に申し訳ないと思いました。だから私にできることは、離婚だと考えました。それが主人のためだと思いました。でも主人に怒鳴られました。「おまえがいなかったら意味がない。赤ちゃんを産むために、おまえと結婚したんじゃない。」主人のその一言で私は救われました。「そうか、二人の生活を満喫するのも悪くない。」そう自分に言い聞かせてそれから数年、私たち夫婦は、海外旅行に行ったり、二人の生活を楽しく過ごしていました。でも正直言うと、私はその間もずっと赤ちゃんはあきらめきれませんでした。それで、一人でこっそりインターネットを使い、それとなく耳にしたことのあった「代理出産」と「卵子提供」ということを調べ始めていました。(私には両方必要ですから)そして、すてきな川田さんと出会ったのです。

今思い返すと、川田さんには本当に申し訳ないほどメールを通じて毎日のように相談にのってもらいました。それでも、私の心を癒してくれる親切なお答え・お返事に感激し、私は自分の夢をこのIFCに託そうと決心しました。主人も少しは代理出産のことを考えていたようで、賛成してくれました。両家の親に相談する時が一番勇気がいりましたが、大賛成して、喜んでくれました。また、私は仕事をしているものですから、自分の職場の上司になんて言おうか・・・これもとても悩みました。でも、正直に話そうと決意し、上司に相談。とても応援してくれ、親身になってくれ、本当に助かりました。私の友達もみんな応援してくれました。「育ての親が肝心。気にせずがんばれ!」と私の背中を後押ししてくれました。

そうして、私たちにも渡米の時がやってきて・・・すばらしい代理母の方にも巡り会え、2回目にうまく着床しました。そして何と、出産予定日が流産した子と全く同じだったのです。生まれ変わってくるんだなと思いました。

ただ、その子は、遺伝的には主人の子であっても、私の子ではありません。でも私は全くそんなことは気になりません。私たち夫婦が欲しい・・・とこんなにも願って生まれてくる子ですから、私たちの子なのです。また、代理母の方が妊娠中は、私も週数に合わせて自分のお腹を大きくしていきました。私の腹帯の中にはタオルがいっぱい!でも、本当に赤ちゃんがここにいるような気がしました。そうすることで私にとっては貴重な体験をしたように思います。スーパーへ買い物に出かければ、レジを打つ店員さんが買い物かごを台まで運んでくれたり・・・職場でも(上司以外は、本当に妊娠していると思っていたので)周りの人に気遣ってもらったり・・・本当に妊娠していないけど、そうして助けてもらうことを気にして引け目を感じる必要はないと上司が言ってくれました。私は、こうした経験のもと、今までは妊婦さんに対してはうらやましいという目でしか見られなかったのですが、これからは違う目で見ることができそうです

そして、いよいよ出産。病院においても、アメリカ滞在中も、川田さんを初め、スタッフの親切さと適切な素早い対応には頭が上がりません。おかげで、快適に過ごすことができました。

今、私の横で、赤ちゃんはすやすや眠っています。本当に私たちの天使ちゃんです。費用の面や渡米に向けての日程の面など、いろいろ大変なこともありましたが、頑張ってきて本当によかった。アメリカを発つ最後の日、空港まで送ってもらっている車の中で、私は涙を抑えるのが精一杯。「この子を手にするまで、何度もこの地をふんだなあ・・・」とかいろいろ考えていると。出産は感動です。子育ても素晴らしい日々の連続です。

わたしたちにこんな幸せをもたらしてくれた卵子提供者、代理母の方、そして川田さん、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。この感動をいつまでも・・・


 

関西地方のY様より

私たちは、今年、卵子提供、代理母出産により、20年来の夢だったかわいい赤ちゃんに恵まれて、人生最高の幸せに満ちた春を迎えました。 これまで10年以上不妊治療を受け、そのうちに卵子がとれなくなりました。また、数年前から病気にかかり、自分で生むこともあきらめなくてはなりませんでした。 私たちが子供を授かるには、卵子提供、代理母出産の方法しかないことがわかっていましたが、具体的にどうすればよいのか、あてがありませんでした。 1昨年主人がインターネットで、IFCのサイトを見つけ、胸を躍らせて、アクセスしました。そして、私たちの前に、幸運の扉が開かれたのです。 4ヶ月待って代理母が見つかり、面会に行きました。二人の子供を持つ20代のご夫婦で、私たちに大変同情し、喜んで協力しますといわれ、とても感激しました。 卵子ドナーは、美人で秀才の東洋系の方に決めました。はじめのドナーのときは、卵子が取れず、中止になりましたが、二人目のドナーからは、たくさん採卵でき、3個の胚が、代理母に移植されました。一人の胎児が順調に育ち、今春、無事に生まれました。 主人にそっくりと誰からも言われるとても元気な赤ちゃんです。

この間一番苦労したのは頭の固い、世間体を気にする親を説得することでしたが、今では、喜んで子守をしてくれます。 あきらめないで、求めつづければ、夢はかなうということを、実感しました。 川田さんにめぐり合わなかったら永遠に縁のなかった子育てという素敵な体験を毎日楽しんでいます。お世話になった、たくさんの人たちに心から感謝しつつ。


   中国・四国地方のU様より

<奥様より>

私たちには、今、赤ちゃんがいます。 とってもかわいい赤ちゃんです。 その赤ちゃんが授かるまでには、いろんなことがありました。 私は、ちょうど2年前、お医者さんから「あなたは、赤ちゃんが出来ない 身体です。」と、はっきりそれも突然宣告されました。 私の主人は、とっても、とっても、とっても子供が大好きな人でしたので その宣告は、すごいショックでした。 まだ主人も若かったので、離婚を何度も考えましたが 主人の説得とこの人のために、赤ちゃんが授かれるようにがんばろうと 心に誓いました。 プログラムが進んで行く途中でも、山あり谷ありで何度も 気持ちの面で、くじけそうになるときもありましたが、 主人や、IFCのスタッフの方々に支えられ がんばることができました。 そして、なにより、私たちに力を貸してくださった代理母の方にも 感謝のきもちでいっぱいです。 これからも、赤ちゃんの成長の様子をお知らせし ていきたいと思っています。 本当に、たくさんの人々の協力と支えがあって ここまでくることができました。 今、我が子を抱くことが出来、本当にしあわせいっぱいです。 ありがとうございました。
 

<ご主人より>

代理出産という言葉をはじめて聞いたのは、妻が検査を受けていた 日本の病院の先生からでした。子どもを授かるにはこの方法しかないと、 突きつけられたのです。  どうしても、子どもがほしかった私は、本を読んだり、インターネットで調べたりして、 代理出産についてのあらゆることを勉強し、自分たちにも挑戦できることを 知りました。  それからは、まず妻との話し合い。そこまでして・・・という妻を 毎晩、何日もかけて説得しました。また、夫婦だけでなく、お互いの 両親や兄弟の理解や協力も大切だと思った私は、そこまでしなくても・・・ という両親や兄弟も説得しました。自分に原因があると思っていた 妻には、私の両親にこの事実を告げるのは、本当につらかったことだと思います。  途中何回も、私が、子どもがどうしても欲しいからというだけで、 周りのみんなにつらい思いをさせているのではないか。もし、うまくいかなかったら どうしようと考えました。でも、何年か後には必ず幸せがくると信じ 途中くじけそうになった妻を励ましてきました。    実際にこのプログラムに進むと、仕事のこと金銭面のこと 精神的なことなど、本当にいろいろクリアしなければならない問題がありました。 しかし、その時のお互いの家族の協力やアドバイスは、本当に支えになりました。  現在、私たちはこの方法で、子どもを授かり力を合わせて 子育てをしています。遺伝的にも戸籍上も私たちの子どもです。 お互いの家族も、本当にかわいがってくれて喜んでくれています。 なにより、妻をお母さんにしてあげることができたことは、私にとって 幸せなことです。  また、子どもを授かったことと同じくらい、私たちにとって大切な いろいろなことを得ました。代理母になってくださった家族とのふれあいや サポートしてくださった様々な人の心遣いです。  うまくいえませんが、いい結果に必ずしも行き着くとは限らないことでも 家族一丸となってがんばり、サポートしてくださる人たちを信じ、感謝する 気持ちは大切だったと思います。


 

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